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 職務発明と職務著作(7)「青色LED事件(その1)」
 
 日亜化学に勤めていた中村教授が起こした「青色LED裁判」はおそらく皆様聞いたことがあると思います。

 最終的には東京高裁で和解することになりましたが、東京地裁では職務発明の相当の対価が200億円という判決も出て、世の中の注目を集めました。
 
 今日は中村教授が日亜化学に勤めていた頃の話をしたいと思います。
 ある日、中村研究員(当時)は、日亜化学の小川社長に直談判に向かいました。その内容とは、
 青色LEDの研究にチャレンジしてみたい、というものでした。
 小川社長はOKを出します。会社承認の下に青色LEDの研究は始まりました。

 この小川社長は現在は他界されています。
 現在の日亜化学の小川社長は、故・小川社長の娘婿にあたる方です。

 日亜化学の社長が故・小川社長から、現在の小川社長に変わった頃、中村研究員(当時)と日亜化学の関係は悪くなります。

 中村研究員(当時)は窒化ガリウムを用いて青色LEDの開発に取り組んでいましたが、当時は窒化ガリウムを用いて青色LEDを開発することは無理であると考えられていました。

 ある日、小川社長(娘婿)が他社の研究員を連れて中村研究員(当時)の研究室に見学に来たことがありました。

 もちろん、青色LEDに興味のある研究員であれば、中村研究員(当時)が窒化ガリウムを用いて研究をしていることはさすがに分かります。

 ご丁寧に、その他社の研究員は小川社長(嫁婿)に「窒化ガリウムでは青色LEDの開発は無理である」旨を伝えます。

 青くなった小川社長(嫁婿)は、中村研究員(当時)に青色LEDの開発の中止を命じます。

 もし、中村研究員(当時)が小川社長(嫁婿)の命令を無視せずに受け入れていたとすれば、または、小川社長(嫁婿)が中村研究員(当時)を左遷する等の研究を止めさせる強行措置に出たとしたならば、20世紀に青色LEDに光が灯ることはなかったと思います。


★判決文等の資料はこちらに整理されています。
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